アンドレーエフ以前

北川つとむ著「バラライカ教本」より

「バラカーチ」(ロシア語で、おしゃべりをするの意)を語源とするバラライカの歴史は、17世紀に初めて文献に登場するといわれているが、オシポフ名称民族楽器オーケストラの主席ソリスト、A.チホノフ氏によると4世紀にもその存在が認められているという.これは、詳しい資料がないので明らかでないが、ロシアの一般家庭において広い普及をしたのは18世紀中頃である。



 モスクワのバラライカ奏者、E.アフクセンチェフ氏によって書かれた資料によると、イワン・ハンドシキン(1749年〜1804年)なるバラライカの名手が、18世紀後半に登場している。
 その頃は、未だ金属製による半音階のフレットはついておらず実に粗末な作りであったが、バラライカの「第一期全盛時代」ともいえるだろう。
 さて、19世紀に入ると、まず7弦ギターが、そして少し遅れてアコーディオンが広く普及され、バラライカは幼稚な、また卑しい農民の楽器として、約1世紀にわたって不遇の時代を送ることになる。が、19世紀後半には、ワシーリー・アンドレーエフ(1861年〜1918年)によって改良がなされ、バラライカは、第2の全盛期を迎えることになる。


 アンドレーエフについて書くと一冊の本になってしまうが、この後「農民の楽器」 という強い偏見と闘いながらも、アンドレーエフは楽器の改良を重ね、バラライカの 普及につとめていく。
 1888年の歴史的な演奏会を皮切りに、アンドレーエフは「大ロシア・オーケストラ」を連れて1900年にフランス、1908年ドイツ、1909年イギリス、 1910年 にはドイツ、イギリス、フランスをアンコール公演。 1910年から11年にはアメリカを巡演し、どの国でも大成功をおさめている。
 作曲家として多くのバラライカの作品を残し、ロシア民族楽器の演奏法、オーケストレーションの解説、そして様々な公演資料を2冊の本にまとめあげたアンドレーエフは、10月革命翌年の1918年、永遠の眠りについた。
 葬儀には、多くの人々が参列したが、棺を運んだのはアンドレーエフによってその才能を 見いだされた歴史的なバス歌手、F.シャリアーピンであった。
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posted by t-b-e-b-e at 17:37 | バラライカの歴史-Balalaika History | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする