アンドレーエフ以後

 時代はソヴィエト政権となるが、アンドレーエフ亡き後もバラライカは確実な発展 を見せている。民族楽器オーケストラには、2つのグースリ(撥弦と鍵盤)やバヤン、 ウラジミールホルン、ジャレイカ等の管楽器が加えられ多くの作曲家が、民族色濃い名 作の数々を残している。

 また、バラライカの独奏においては、B.トロヤノフスキー(1883年〜1951年) が多くの奏法を考案し、チャストゥーシカ(村のはやし歌)をバラライカ用に編曲した 曲集は今でも音楽院のテキストとして使われている。
 また、1933年に発表された、S.ワシレンンコ作曲の「バラライカとシンフォニー ・オーケストラの為の協奏曲」は4年に1度行われる民族楽器コンクールの、バラライカ 部門課題曲にもなっている。
 さて、アンドレーエフ以後のバラライカの歴史として興味ある事実を最後に記しておき たい。1942年、大祖国戦争(第2次大戦)の時であるが、ロシア民族楽器オーケスト ラの本拠地、レニングラードが、ドイツの侵攻を受け、炎に包まれた。
 当然、数々の名器やアンドレーエフの残した保存文献が危険にさらされる訳だが、ソウ゛ィ エト政府はこれらをモスクワへ緊急輸送させ、また名演奏家たちをも招集させた。 モスクワで復活したロシア民族楽器オーケストラによるロシア民謡の演奏は、毎日ラジオ で戦場に流されたらしい。「前線の兵士達は、感動に涙を流しながらも、ナチスの侵攻に立ち向かった」とV.ブグ ロッフスキーは書いている。
 戦時中、ドイツに攻められながらも、ベートーベンの音楽をラジオで流していたという、 この国の芸術に対する国民性には、深く敬意を表したい。

 以上がバラライカの簡単な歴史だが、本場の演奏家たちのこの楽器への愛情、また、普及の熱意には、並々ならないものを感じる。
これは、アンドレーエフの業績に対する、深い感謝と尊敬のあらわれではないだろうか。
 100年前のアンドレーエフの情熱は、今も生き続けている。
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posted by t-b-e-b-e at 16:53 | バラライカの歴史-Balalaika History | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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